むかしむかし
小学生の頃の私は、遊んで食べて寝るの繰り返しで、たいした事は考えていなかった。漫画や雑誌は読んでも、物語の本は読まない。勉強しなさいと言われたこともなければ、褒めてもらうようなこともなかった。勉強が出来てえらそうにしてる子は大嫌いで、ああはなりたくないと思っていた。
学校の先生はわかっていない。勉強が出来て裕福な家庭の子ばかり見ている。私は家でも学校でもほりっぱにされて、まったくやる気をなくしていた。5、6年の時の担任の先生だけは、まだマシだと思っていた。普通に話してくれたから。
先生たちだけじゃない。大人はみんな私のことを母子家庭の可哀想な子だという目で見るから、ほんと嫌だった。当時は離婚率が低くて、母子家庭の子は同級生100人中3人しかいなかったから、差別感は半端なく押し寄せてきた。ふと、私も父と同じように37歳になったら死んでしまうのかもしれない、と不安になることもあった。
本音で話せる人もいないけど、小さな楽しみを自分で見つけて生きていた時代。いま思えば、あの頃はそんな子供たちであふれていたのかもしれない。
小3の朝、小1の弟と
年中無休の窓口
大人になって、先生と呼ばれる時が来るなんて思いもしなかった。今ならわかる。勉強が出来る子も、威張る子も、裕福な家庭の子にも悩みはある。先生も同じだ。家族がいて、みんなと同じように悩んでいる。あんなに忙しいのに、子供たちのことを実によく見ている。あの頃の子供たちが、今の先生の中心になっているのだから、当然かもしれない。
昔の先生はこんなんじゃなかったよね、と同じ小学校出身で2つ上の先生が言った。授業について来れない子がいても、孤独な子がいても、スルーしてたよね、と。昔は子供の人数も多く、私のようなサポートする職員もいなかったから、先生も大変だったに違いない。子供たちに寄り添う余裕もなかったのだと思いたい。
毎年クラスの子供たちには、1人残らず声をかけるようにしている。気軽に話しかけて来るようになったらこっちのものだ。小さな胸を1人で痛めないように、年中無休で窓口を開けている。
先生はわかってる
いまだに支援学級の子供に偏見を持つ人がいて驚くことがある。知り合いのお子さんが支援学級にいると聞いて、えぇ!支援学級?なんて気の毒そうに言う人とは友達をやめたいと思った。別れた旦那に至っては、大声で奇声を発する奴らやろ?と嫌な顔で言ってのけた。腐ってる。子供たちの方がよっぽどわかっている。なんと無知で失礼な大人が多いことか。
支援学級にいる子は頭の良い子が多い。親がきちんと子供のことを見ていて、個別で指導を受けた方がいいと判断しているのだから、利口な選択だと思う。どこを変えていきたいのか分かっているから得だとも思う。困った子=困っている子だと教わったが、そんな子は普通学級の方が多いし、深刻だと思う。
どちらにいても先生の態度は変わらない。どの子も大事な愛すべき存在だと、先生はわかっているのだ。
大人の私が作った海上LIVE♪ステージには、あいみょん!ꉂ🤣𐤔
芸人なみ
どうしても勉強したくない支援学級の4年生の男の子と担任の会話。
😐「…そろそろプリントしたら?」
🤓「昨日飲みすぎて二日酔いなんだよ〜」
😠「いいからしなよ」
🤓「腹押すなよ〜、僕はチャンネル登録ボタンじゃないんだよ」
😣「お母さんに報告するよ!」
🤓「やめろよ、昨日死刑になりかけたんだから」
😫「もぉ暑いから早くしよ!」
🤓「熱くねーよ、誰がマグマやねん」
ポンポン飛び出す言葉に、笑ってはいけないと思いながら笑ってしまう。担任も耐え切れず笑っていた。才能ありの特待生!
みんなの将来が楽しみだ🎵
父との貴重なツーショット
つぼみ
やっと手に入れた
安らかなこの部屋
ここを抜け出して
もう1度咲きたいと
思う季節は来てますか?
ようこそ、あんずのくにへ